名前 岡市尚士
生年月日 7月1日
血液型 O
出身地 岩手県下閉伊郡山田町船越
夢 ちびっこレスリングの指導者
モー娘 加護ちゃん、高橋愛
バイト 酒屋
バンドやってなかったら? PRIDE戦士
生まれ変わったら? イケイケ女子高生か調子こいてるセレブ
音楽自伝(年表式で)
無知時代(0歳〜4歳)
唯一の友達は"紙とペン"何枚も何枚もただひたすら絵を描く毎日。作品の中で特にお気に入りだったのは、その画力と妄想力を活かした"女性の裸体"
ファーストコンタクト時代(5歳〜)
家のレコードから流れてきた吉幾三の"オラ、東京さ行ぐだ"と大好きだったアニメ"ハイスクール奇面組"の主題歌のうしろゆびさされ組の曲達に保育園児のはーとは鷲づかみされた!
実家には5歳当時の俺が歌ったこの2曲(アカペラ)のテープが探せばあるはず。いつかリマスタリングしてリリースしよう。
はなれる時代(7歳〜)
小学校に入学した俺は勉強もそんな好きではなくおまけに超ガリガリだったから体育も超超苦手。そんな俺が憧れたものは…"強さ"もはや音楽とは真逆の方向に目が向いていた。本気でプロレスラーになりたくて10歳で始めたレスリング。この頃よく耳にした音楽といえばレスラーの入場曲。中でも大のお気に入りはサルマンハシミコフ率いるレッドブル軍団のテーマ。
音楽との再会時代(14歳〜)
中2になった俺の心にはポッカリと大きな穴が空いていた。…この体で果たして新日本プロレスに入門出来るんだろうか?!と…。単身メキシコに渡りプロレスの修行をする事も考えていた。(これを真剣に考えてたもんだから当時の先生達は何と言っていいやら。俺にかける言葉が無かったそうな)そんな時見事心の穴を埋めてくれたのがクラスメートの貸してくれたビートルズ"赤盤""青盤"。以後毎日聴いていました。それと同時に家にあったギター"モズライト"を何とな〜く手にする。
熱中時代(16歳〜)
高校でもレスリングは続けてはいたものの頭の中は音楽の事と童貞を捨てる事ばかり。沿岸では伝説のスリーピースパンクバンド"BULLDOG"でギターを弾いていたこの頃、ハイスタに憧れていた俺は自分の事を横山健だと思い込んでいた。もうプロレスラーになる夢は消えていた。
惰性時代(19歳〜)
高校卒業後も伝説のパンクバンド"BULLDOG"を続けていた一年間。活動は地元の"チャリティーコンサート"などばかり。この場所ではプロミュージシャンになれる手段が全く見つからない。日々の暮らしが惰性になりかけていた頃東京に行った友達から一本の電話「東京はチャンスの街だ!日本のアメリカだ!」という言葉に頭の中がひっくり返る。そして2000年春、ダラダラしたバイトとナンパばかりの生活に終止符を打ち夜行バスで"オラ東京さ来ただ!"
東京砂漠時代(20歳〜)
上京し一年は会社に勤め翌年2001年から俺は地元の頃の知り合い3人で新バンド(コーチガリーの前やっていた)を始める。ホントはギターをやりたかったのだが何故かベースに転向。オリジナルをやるにあたり色んな引き出しが要求されるが俺はハードコアスタイルのギターしか弾けなかったのだ。
コーチガリー時代(23歳〜)
あれは前バンドの頃だった。ガレージに行った際店長からその場に居合わせた佐々木真之さんを紹介される。初挨拶の時彼はレンズ無し眼鏡の中から指を出しウニョウニョさせるギャグを披露してくれたのだが"全く笑えなかった"確か合わせ笑いでその場を凌いだ事を覚えている。相手のギャグに突っ込んだり拾ったりする習慣が無い岩手県出身の俺にとってのサネさんの第一印象は"からみづらい人"だったのがどういう巡り合わせか2003年春、前バンドを辞め"オラ、コーチガリーに来ただ"そして現在に至るのであります。何だかんだで楽しくやっておりますよー。