名前 佐々木真之(ささきさねゆき)
生年月日 
12月3日
血液型 
A
出身地 
東京

音楽自伝
1978年12月3日
23時23分、佐々木家自宅にて産婆さんの手によってこの世に引き釣り出される。
すでにこのとき「人間はこの世に
修行のためやってくる」という仏教の教えが体に染み付いていた真之は、
これからの人生が苦労の連続であろうことを覚悟していたのかもしれない。
その
はじめの試練が幼稚園の時に突如訪れる。うんこをもらしたのだ。
そのショックに「これが苦行か」と泣き崩れる。しかし、周囲の人間は
優しかった。
替えの短パンを用意してくれた松下先生は、当時寒色系の服が主流だった佐々木家にはなんとも斬新な
えび茶の短パンを用意してくれた。この時残した、「服装は自由だ。自由な自己表現の一つだ。」という言葉は今も不動幼稚園の園訓として掲げられている。

小学校に入学、歌詞が
「ささきさねゆき”さ”が3つ」だけで構成される「ささきさねゆきのテーマ」が空前のスマッシュヒット。2ndシングル「ささきさねゆき音頭」は製作中のままお蔵入りした。
ちなみにひらがなでみる自らの名前について、小学2年生の部
漢字博士の称号を与えられたときにこう語っている。

「僕の名前はひらがなにするとどうも似たような形が多すぎてね。それがイヤで当時は漢字に夢中だったんだ。そのコンプレックスが僕をここまでにさせた。だからこの称号は僕のものじゃないさ。僕の両親に捧げるよ。え?将来女の子がうまれたら佐々木早紀(ささきさき)ちゃんはどうかって?それはグレちゃうんじゃないかな(笑)」

そして
第二の試練が訪れる。小学4年生の引っ越しを期にふとる。クラスでは「動ける内山信二」的なポジションにおかれる。当時のしこ名は「ささ錦」。「この苦行を乗り越えた先に何がみえるか。それは乗り越えたもののみぞ知る」と当時しきりに語っていたそうだ。その言葉通り、ささ錦のしこ名を背負い国技館の土を踏む事になる。

ちなみにこの頃家族の影響で鍵盤を少々好んでいたようだ。


中学入学と同時に転校、知り合いのいない学校で周囲の人間にはめられいきなり学級委員に任命される。人前にでるのが苦手な内山真之は「この試練だけはどうしても乗り越えられない」と苦悩しつつ過去最大の急勾配を登り始めた。当時初めて買ったCDは「Dreams Come True/晴れたらいいね」


下馬評を覆す活躍をみせた中学時代を経て見事内山真之から加勢真之を襲名、都立高校に通い始める。人間集団における自らの役割を知るためにバスケ部に入部、主将をつとめるも試合に出場できないうだつの上がらない日々を送りそのまま引退。実力がないものは相手にされない社会の現実というデカイ壁にぶちあたり、18歳の加勢真之はこの急勾配を乗り切る事が出来なかった

この頃ギターを手にする。

加勢真之はカルーセル真之を襲名、転落人生が始まるかと思われた。受験は第一志望不合格、滑り込んだT大学でも心を閉ざす日々。「苦行がここまで辛いものだとは。目の前の急勾配は避けて通れないものか。もう苦行はいやじゃ。この修行を終えてこの世とは早くおさらばしたい…。」とは思わなかった

カルーセルの心は復讐に燃えていた。
復讐の矛先はオレをこんなにした悪友、心を開けなかった家族こんな不条理な社会、煩悩をあおる街の露出の多い女の子、太りたくないのにとても美味しそうにたたずむごはんの数々、そんなやつらに対してではなかった。それは他でもない自分自身への復讐であった。

カルーセルは音楽が好きだった。


大学3年を休学してバンド活動に専念、
勝負にでた。家を飛び出し自分の音楽に対する気持ちを確かめたかった。「オレのこの世における修行はこれからだ。我が道を進む決意をオレはここで打ち出すんだ。」しかしこの一年で覚えたのは酒の味のみだった。覚えたというよりむしろ溺れたのか。そうなのか。このときカルーセル真之はユースケサネユキを襲名、口の軽快さが5倍になった。


ユースケサネユキはお酒の味を覚えつつも、コーチガリーの活動を進める。現在はすばらしい仲間に恵まれ、まさに自分自身との
臨戦態勢が万全に整っている。真の佐々木真之になれる日は訪れるのか。がんばれ真之